2005年日本国際博覧会、通称愛知万博が開幕した年。

私は地元の石川県を離れ、京都のとある美術系大学に入学した。


京都での生活は、ここから始まる。


地元から見る京都、外から見る京都は世間知らずな私にとって、とても魅力的だった。

特別な何かがあるような気がしていた。何も知らないが故の好奇心だったのかもしれない。

実家から離れての一人暮らしにワクワクしないわけがなかった。



住む場所は自分で調べて選んだわけではなく、部屋の間取りも一切見ていなかった。

現地に着いて初めて自分が住む場所がどんなところなのか確認した。

それほど住むこと、場所、家というハードについて興味がなかった。


 

新しく住むことになったところは4~5戸が繋がった長屋の西側から数えて2戸目。

間に挟まれているので、窓があるのは南と北の2面のみ。

玄関は南側だが、前の道路は軽自動車1台が何とか通れるくらいの幅しかない。


北側は庭がある。庭というよりは空き地といった方が近い。草が伸び放題に伸びた空き地。

この空き地は、4面とも家の壁に囲まれた箱庭のようになっていた。

窓があるのは自分の家だけ。アクセスできるのはここだけだった。


ある意味恵まれていたのかもしれない。

他の家の間取りを知らないので何ともいえないが、庭がある家が他にもあるようには見えなかった。


我が家の1階には畳の部屋が1つ、フローリングの部屋が2つの計3部屋。

3部屋のうちの1つは収納庫のように使っていたし、住む環境としては2部屋あれば十分暮らすことができた。

 

2階もあったのだが使うことはなかったし、そもそも2階には上がらなかった。

上がれなかったという方が正しいか。

階段はあったので物理的には問題なかったのだが、精神的なところで障害が2つあった。

 

 

1つは、階段の照明が切れてつかないこと。

2階には窓もなかったので、昼間でも階段下から奥を見ることができなかった。

ただそれだけのことで湧き上がった恐怖心が、2階に上がろうとする意思を削いでいた。


もう1つ。これは住み始めてしばらくしてから気がついたことだが、

夜寝ている時に天井か2階かわからないが、上から足音が聞こえること。トコトコ トコトコ


今考えれば、長屋の築何年も建っているところでネズミがいないほうが可能性が低い。

しかし、あの時は初めての一人暮らしで初めての長屋。

自分の住む環境にネズミがいることなど想像したこともない私には結構ショックだった。


そんな2つの要因により、2階は封印された。

問題なく1階だけで住めているのだから、無理に2階まで生活圏を広げる必要はない。

 


決してホラーな話ではない。

この記念すべき1軒目の京都の長屋での暮らしは2年間続いた。

思考と実験の場

生まれた時からあって、何の疑問もなく暮らしてきた家。

家、生活、暮らし。ごく当たり前だったものを、住環境が変わったことで改めて考えるキッカケができました。

今までと同じ暮らし方をしていたら、そのまま過ごしていたと思います。

生活の中心となる家。暮らすとはどういうことなのか。生きること、その哲学とは。