All night

京都駅南にあるみなみ会館へ。


ここに映画を見に来たのは2回目。

1回目は石山友美監督の「誰も知らない建築の話」

この時はちょっとウツラウツラしてしまった。


今回は大丈夫と思っていたが、スケジュール的に絶対にウツラウツラどころか寝てしまうだろうと確信していた。

なぜなら、19時半から映画が始まるのだが、終るのは翌朝6時50分予定だから。

もちろん最初から諦めていたわけではない。

お金を払っているのだからちゃんと全部観ようという気持ちはある。

というかあったのだが、結果的には眠気には勝てなかった。


この日観た映画は合計4本。

1本目は冨田克也監督の「サウダーヂ」

最近は120分を切る映画ばかりを観ていたので、約170分の比較的長い映画を観たのは久しぶりだったが、

特にダレることなく全部観ることができた。

率直な感想は、主人公が誰なのかなかなかつかめず、何が起きているのか把握しきれなかったように感じた。

飲み込むのになかなか時間がかかり、後から監督のインタビュー等の記事を読んで

この映画を観て感じ取ったものに自信を持てば良いのではないかと思うようになった。


映画の感想からはズレるが、どの映画が面白くて、どの映画が面白く無いのか。

最終的には観た人それぞれの感想を持ってしかるべきと思っているのだが、

著名な評論家や一般的なというかマジョリティな意見、感想が自分の感想と相違があると

自分の感想に自信を持ち続けることが難しい。

例えば自分はとても楽しく観たものが、世間では批判されていたりした場合、

映画の観方が何かおかしいのかと疑ってしまいそうになる。

でも、そんなことは気にする必要はなく、自分が感じたままの感想で良いのだと

この映画とは全く無関係に自分で改めて感じた次第だ。

そう感じたのは、冨田監督がインタビューで語っていたことによるものや、

冨田監督自身の映画撮影に対する姿勢により感化されたからかもしれない。


閑話休題

サウダーヂはDVD、BD化されておらず、たまにリバイバル上映される時にしか観ることができないようだ。

たまたま12月5日に上映されるということで観ることができた。

鬱屈とした日本の日常というのだろうか。そういったものを感じた。

フィリピンやアフリカ系の移民の人達や、仕事が少なくなってきた中小企業の土木業の人たち。

ラップで日本の生活に不満を言う日本人と、同様にラップで生活苦を伝える黒人達。

重機が故障し、手作業で仕事をし始めた時に奴隷のようだと揶揄する言葉や、

カポエラが手枷をつけられたままでもできる動きであること。

ヒップホップが人種差別の開放に繋がったことなど、直接的に語られるわけではないが

それらをつなぎ合わせていくと感じるものが多々出てくると思う。

クライマックスはそんな日本を象徴しているようなシーンに見えた。

華やかなシーンが最後の方に出てくるが、それも幻想で幸せになったり

豊かな暮らしをしている人はほぼ出てこない。

決してフィクションではなく、自分と登場人物を比較して違うのは生活しているところがホンの少し離れているというだけ。

それ以外は自分と登場人物の違いは何もないことに軽くショックを受けたのか、観た後は何ともいえない気分だった。


映画が終わった後は、野口雄介さんの舞台挨拶があり、上映全体が終わったのが23時頃。

次のオールナイトイベントが始まるまではわずか45分程しかない。

近くでご飯を食べに行き、すぐにみなみ会館まで戻ってきた。

会館内は人がごった返していて、こんな状況は普段見たことがないと感じたが、みなみ会館の普段がどんなものなのかはあまり知らない。

客層はといえば、男性9割女性1割といったところ。

いろんなイベント開場等では、女性トイレに行列ができるのが常だが、

ここでは珍しく男性トイレに行列ができるのを見ることができた。


オールナイトのスケジュールは、まず高橋ヨシキさんと中原昌也さんのトークショーから始まり、

その2人がセレクトした映画が順に上映され、最後にイーライ・ロス監督の「グリーンインフェルノ」という流れ。

トークショーでは2人の選んだ映画に対するディスりや、ヨシキさんがいかに土人が好きかということについて語り、

それについて中原さんが土人という言葉は使わないほうが良いと終始ディスコミュニケーション気味な感じだった。


オールナイトの1本目。ヨシキさんがセレクトしたエリック・ウェストン監督の「デビルスピーク」

元からそうなのか、当時の技術的に仕方ないのか冒頭でB級映画っぽく感じた。

クライマックスでも主人公クーパースミスを釣るワイヤーが丸見えだったりと、B級感は拭えなかったが

割りと好きな作品だった。


2本目は、中原さんがセレクトしたウィリアム・サックス監督の「溶解人間」

初めにいったウツラウツラしたのはこの映画のとき。

時々目を覚ましスクリーンに目をやったが、その時その時でスクリーンに映っているものが

殆ど変化していない用に見えてそれが余計に眠気を誘ったのかもしれない。

上映時間が深夜3時25分からというのもあったが、それだけでは無いと思う。


1本目、2本目の映画が終わった後の劇場の雰囲気は何といえば良いのか。

深夜なのもあってかとても高揚感のある感じ。

小学生の時に学校で宿泊したときのワクワク感に似ている気がする。

劇場の椅子でブランケットを持参して寝ている人がいたりするあの環境というか空間が、何とも言えず楽しかった。


最後のグリーンインフェルノは、予告をみて覚悟していたとおり体や目や舌や首がムズムズと痛くなるような映画だった。

自分にとってちょっとショックだったのは、この映画の中で笑いのシーンがあるということ。

シーン自体はとてもシリアスなのだが、場内に笑いが起きたことにカルチャーショックのようなものを受けた。

そこが笑いどころなのかと。

全然批判する気ではなく、ここは笑うところなのかと自分にはない感性というか映画の観方があることを感じた。

その笑いには少し救われた気がしたのも事実。

怖い映画をみんなで観ていることを思い出しちょっと安心した。


笑いについては、デビルスピークの時にもあった。

先に書いたが、ワイヤーで釣られるシーンや顔が合成されているシーン等にも笑いが起きた。

これらのシーンというか、デビルスピークを観て一度も笑っていないし

1人で見たらそこで笑いが起きることなど知る由もなかった。

技術的に弱いところでも勝手に脳内補完してしまうし、全部真剣に観てしまう。

そんなカルチャーショックを受けることが多い、有意義な映画体験だった。


映画が終わったのは朝6時50分。

映画館を出た時には心地よい疲労感を感じていたが、映画館に財布を忘れて取りに戻ることになったので

思っていた以上に疲れていたのかもしれない。

約12時間、半日を映画館で過ごしたのだから当然か。

前日もそんなに睡眠時間がとれてはいなかったので、むしろよく4本中3本を寝ずに観れたなというところ。


最後に映画の笑う箇所について書いたが、これはサウダージの冨田監督がインタビューで映画体験について語っているところを読み、

自分が体験したことを改めて思い返してみるとその時に感じていたことが見事に当てはまったこと。

今年になって、映画を映画館で意識的に観始め、何度となく体験してきたが自分と違う他人を感じたのは

特に今回の映画では結構ショックだった。

自分とその他大勢の人たちとは、違うところが多数あるのは当然だ。

その違う部分を実際に体験して思い知るということが、想像以上に新鮮に感じた1日だった。


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